HEALTHCARE : 健康
DATE : 2019.05.09
乳がん告知。そのとき、あなたならどうする?~乳がん経験者座談会 [第1回]~
今、日本には、乳がんと共に生きる女性たちがたくさんいます。彼女たちは、どのように乗り越えようとしているのか、どのように乗り越えたのか。乳がんを経験した人でなければわからない本音とは?
そこで、リンククロス ピンクは、乳がんの経験がある女性たちの座談会を開催。告知、治療、家族、ライフスタイル、美容、お金……など、乳がんになったからこそわかる真実や本音を5回に渡ってお届けします。第1回のテーマは、「乳がん告知」。そんなことまで、話していいの?と、リンククロス ピンク編集部もびっくりの本音が飛び交いました。
座談会メンバー プロフィール
進行役(写真中央)
ファイナンシャルプランナー 黒田尚子さん
各種セミナーや講演、新聞・書籍・雑誌・Webサイト上での執筆、個人相談など、幅広く活動。がんをはじめ、病気に対する経済的備えの重要性を訴えている。
自身も、2009年12月に乳がんの告知を受け、右乳房を全摘出。その後、インプラント法で乳房を再建。2011年3月に乳がん体験者コーディネーター資格を取得。
家族:夫、娘(中学生)
参加者 (写真左から)
一関加奈女さん(40代)
2016年12月に乳がんの告知を受ける。両乳房全摘出し、リンパ節郭清、抗がん剤とホルモン療法で治療。現在もホルモン療法を続けている。
職業:大学病院の秘書。 家族:夫
内田美奈さん(30代)
2014年12月に乳がんの告知を受ける。左乳房全摘出し、ホルモン療法で治療。その後、インプラント法で乳房を再建。現在もホルモン療法を続けている。
職業:動物病院の看護師兼花火師。 家族:夫、息子2人(中学生・小学生)
附田香織さん(40代)
2017年11月に乳がんの告知を受ける。左乳房全摘出し、組織拡張器(エキスパンダー)を同時挿入。抗がん剤で治療。もうすぐ自家組織で乳房再建の予定。
職業:アパレル販売会社社員兼フリーのヘアメイク。 家族:シングル
桜林芙美さん(30代)
2015年12月に乳がんの告知を受ける。左乳房全摘出し、リンパ節郭清、抗がん剤・放射線・分子標的薬で治療。その後、肺への転移がわかり、抗がん剤治療を経て、現在は分子標的薬で治療。
職業:ダンス関係アシスタント。 家族:娘3人(小学生・幼稚園)、両親、犬、猫
毎年の検診、去年は大丈夫だったのに。
黒田:乳がん経験者でないとわからないことは、いろいろあると思います。いろいろ聞かせてください。私は、40歳のときに受けた、初めてのマンモグラフィでしこりが見つかり、乳がんと告知されました。みなさんは、どのように乳がんを見つけたのでしょうか?
附田:職場の乳がん検診です。4.5cm大ものしこりが見つかり、医師には「こんなになるまでなぜ気づかなかったんだ」と言われました。でも、毎年乳がん検診を受けていてこれまで何の問題もなかったし、私が一番驚きました。
内田:私も、職場の健康診断です。消化器系の腫瘍マーカーの数値が高いといわれ、最初は胃がんかと思ったんです。そしたら、いろいろ検査している最中に左の乳房がどんどんはれてきて……。でも、乳腺外科へ行ってもはっきりしたことがわからず、健康診断から告知まで、半年もかかりました。
一関:私は、自治体の検診でわかりました。毎年乳がん検診を受けていたのですが、実はその前の年に石灰化が見つかり乳腺症と言われたんです。それなのに、2016年の検診で突如乳がんと言われて……。
桜林:私は、左の乳頭に傷ができて、ただれて、かさぶたになるのを繰り返したことがきっかけです。娘たちを母乳で育てたことと、そのときの体調不良から、最初は乳腺症を疑ったんです。そしたら左乳房にビー玉大のしこりが見つかり、乳がんと診断されました。
黒田:なるほど、3人の方は、検診でわかったのですね。毎年、受けていて前年はまったく問題なかったのに、突如乳がんと言われる。これはショックですよね。検診をしていると安心しちゃいますが、万能ではないということです。やはりセルフチェックも大切ですね。
「ママのおっぱいに悪いものができたんだよ」
黒田:乳がんと告知された後、家族や友人、周囲の人たちにはどのように病気のことを伝えたのですか?
一関:私は、20歳のときに悪性リンパ腫になり、血液のがんなので、そのときに大量の抗がん剤を投与され、放射線治療も受けました。そのときに医師に「20年後くらいに二次性発がんになるかもしれない」と言われたんです。そしたら、本当になってしまった。夫とは大学時代から付き合っていて、27歳で結婚するときに、二次性発がんの可能性があることは伝えていたので、彼も覚悟していたかも。でも、やっぱり伝えるときは、つらかったです。母にもまた心配かけちゃうと思うと、伝えづらかったですね。
附田:病気のことわかっていて、ずっと支えてくれているご主人、素敵ですね。(座談会メンバー全員大きくうなずく) 私はシングルで、両親も他界しているし、近くに身寄りはいないんです。会社を抜けて病院に行き、乳がんとわかって会社に戻ったので、まずは上司に伝えました。そしたら、「治療を優先しなさい。会社を辞めてはだめ。続けられるようにする」と言われて……。その後すぐ、私のことがきっかけで、病気になっても仕事を続けられる制度がつくられました。
桜林:それは心強いですね。私は、娘たちがまだ小さいので、どう伝えるべきか悩みました。「ママのおっぱいに悪いものができちゃった。だから、新しく取り替えるよ。ピカピカのおっぱいにするからね」と、お風呂の中で話したんです。そしたら、娘たちおもしろがって、「ママのおっぱいすごいの。ピカピカにするんだよ!」と、幼稚園でみんなに話しちゃって……。
黒田:わかります! 子どもって無邪気に言いふらしちゃう。乳房再建のためにエキスパンダーを胸の筋肉の下に入れて、生理用食塩水で皮膚を伸ばすと、胸がピンと張りますよね。そしたら、当時5歳の娘が「お母さんのおっぱいすごいんだ!」とみんなに自慢気に話しちゃって、ちょっとあせりました。
桜林:でも、身内にがん経験者がいるという幼稚園の先生やママ友が、いろいろと気遣ってくれました。「私も乳がんなの」と打ち明けてくれたママ友も。その後タウン誌に、「患者さん同士で、おしゃべり会しませんか?」というお知らせを出しました。
内田:私も息子たちには「身体の悪いとことってくるからね」と言って入院しました。家がザワザワしたり、私がいなかったりしたことで、「学校や幼稚園でも元気なかった」と、あとで先生に言われました。ママ友たちにも、忘年会のときに伝えたのですが、「送り迎えとか、手伝うから遠慮しないで」と言われて、うれしかったですね。
命も見た目も、両方大切。
黒田:乳がんには、さまざまな治療法があります。告知を受けた後、治療法はどうやって決めたのですか?
内田:まず思ったのは、全摘はいや!っていうこと。「セカンドオピニオンを聞きたいので、他の病院に行く」と担当医に伝えたら、「世界中どこに行っても、同じですよ」と言われちゃいました。でも、どうしても納得できず、他の病院に行ったら、「左だけでなく、両乳房摘出する」と言われちゃって……。それに遠くの病院は大変だし、やっぱり最初の病院にお願いすることにしました。
附田:私は、抗がん剤治療から始めました。そのときは、抗がん剤でがんが小さくなれば、部分切除でもいけるのかな……なんて思っていたんだけど、いざ手術となったら全摘と言われて、ショックでした。さらに再建は2~3年後と言われて……。「命より、見た目をとりたい。再建しないなら、手術もしない」と、医師に訴えました。
黒田:わーっ、思っていてもなかなか言える言葉じゃないですよね。私も告知前は「おっぱいとるなんて死んでもいや!」って思ってたけど、いざ医師を前にすると、言えませんでした。
附田:一番大切なのは、命ってことはわかっているんです。そのときは、気持ちが動揺しちゃって……。でも医師に「命も見た目も、両方大切。絶対きれいに手術します」と言われて、「この先生にまかせよう」と心を決めました。
黒田:治療をうまく進めるには、医師との信頼関係はとても大切です。医師に求められるのは、乳がんの治療に精通していること、高度な専門性を持っていることだけではありません。患者一人ひとりの価値観や置かれている環境などに応じて、最善の治療は何かを考えてくれる医師は信頼できますよね。
第1回から、本音が炸裂! 座談会は、この後さらに白熱していきます。第2回のテーマは「闘病と仕事復帰」。治療中に支えになったこと、どうやって仕事復帰に至ったかを伺います。
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