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HEALTHCARE : 健康

DATE : 2019.01.10

乳がん経験を糧に起業。下着づくりで仲間を支えたい。 ボーマン三枝さんインタビュー 前編

乳がんと闘い、乗り越え、今を自分らしく生きる女性にインタビュー。乳がんになってから考えたこと、悩んだこと、気づいたこと、学んだこと……そのお話のなかにはきっと、自分の人生に向き合うためのヒントがあるはずです。

今回お話ししてくれたのは、31歳のとき、結婚3ヶ月で乳がんになり、乳がん経験者のための「下着屋Clove(クローブ)」を立ち上げたボーマン三枝さん(37歳)。イギリス人の夫と2人のお子さんを持つ、ママ起業家です。

右乳房を全摘。おっぱいが私を守ってくれた。


――さっそくですが、乳がんが見つかったときのことを教えていただけますか?

ボーマン:最初に胸に違和感を感じたのは、 30歳になるかならないかの頃です。お風呂で身体を洗っていて自分の胸に触れたとき、右胸にパチンコ玉より少し大きいしこりを感じました。それで気になって病院に行ったんですが、乳がんという診断にはならず、半年に一回の検査を受けながら経過観察を続けていたんです。

それが、結婚を機に岡山から埼玉に引っ越してきて、自宅近くの病院で定期検査を受けたら、がんが見つかって……。触診、エコーに加えて、その病院では「念のために」と針生検っていう精密検査をしたんですけど、後日結果を聞きに行ったら、「やっぱりがんでしたね」って、あっさり宣告されました。


――乳がんと宣告されたとき、どんなことを考えましたか?

ボーマン:死ぬかもしれないなって思いました。「比較的初期の乳がんの可能性が高い」とお医者さんに言われて、なんとか冷静さを取り戻しましたが、やっぱりすごく不安でした。それに、私、どうしても先生に聞きたいことがあったんです。「乳がんになっても、子どもは授かれるんですか?」って。すると先生は即答で「ダメダメ。絶対ダメ!」って。

その一言は……ある意味告知よりもショックでした。今ならわかるんですよ。そのとき先生は乳がんの摘出手術をした後にホルモン療法をすることを想定していて、その間の妊娠は赤ちゃんに影響が出るからダメって言いたかったんだって。でも、当時は「もう子どもは授かれないかも」と絶望的な気持ちになりました。


――結婚3ヶ月で、子どもがほしいと思っていた矢先に……。

ボーマン:新婚ホヤホヤで幸せの絶頂だったのに、一気に悲しみのどん底に突き落とされた感じでした。でも、ネットや本、乳がん関連イベントなどで情報を集め、「妊孕性(にんようせい)の温存」という言葉を知ったんです。妊孕性というのは、いわゆる妊娠する力のことなんですけど、事前に卵子・卵巣・受精卵の凍結などをしておくことで、乳がんの治療で損なわれるかもしれない妊孕性を温存できるらしい、と。


――妊孕性の温存に希望を見出したんですね。

ボーマン:さっそく主人と話し合って、主治医に妊孕性を温存できる施設を紹介してもらいたいと相談しました。でも、「あなたは極めて初期の乳がんの可能性が高いから、手術後の病理検査の結果を待ってからでも遅くないと思うよ」と言われて、それもそうだなって。私の場合は、石灰化と言って気になる部分が乳管組織に点在していたので、先生の提案に従って、右乳房の全摘手術をすることにしました。


写真は、手術後のボーマン三枝さん。

――全摘に迷いはなかったですか?
ボーマン:おっぱいを失うのは確かに辛かったです。でも、手術で乳房再建できるってわかったし、それよりも早く悪いものを取ってすっきりしたい気持ちが強かったので、迷いはなかったですね。気がかりだった病理検査の結果も、「ステージ0」の非浸潤がん。がんが乳管の中にとどまっていて、転移していませんでした。そのとき思ったんです。「おっぱいが私を守ってくれたんだ。ありがとう」って。

妊孕性を最優先して、ホルモン療法を辞退。

――全摘手術の後はどのような治療を受けたんですか?

ボーマン:定期的な検診のみで、治療は一切しませんでした。先生には再発と転移を防ぐために5年間のホルモン療法をすすめられたのですが、すぐにでも子どもが欲しい私には、その5年がとても長く思えたんです。手術が終わったときは32歳、5年後となると37歳、そこから妊活を始めたら、あっというまに40歳……。

これは本当に悩んだんですけど、主人と主治医に何度も相談し、再発や転移に不安は残るけど、妊孕性を最優先してホルモン療法をしないことに決めました。幸い、手術から1年経たないうちに長女を授かり、2年後には次女も生まれて……。がんの告知を受けたときは諦めかけたけど、母になるという夢をかなえることができた。本当にうれしかったですね。


――乳がん経験者として子育てをするなかで、悩みや課題はありましたか?

ボーマン:特に苦労したことはありませんでしたが、授乳できるのは左胸だけなので完全母乳とはいかず、2人とも粉ミルクとの混合栄養で育てました。妊娠・授乳中と授乳をやめてからの6ヶ月間はマンモグラフィーができないと聞いていたので、授乳期間も計画的に短くしましたね。世の中には未だに“完全母乳神話”が根強くあって、プレッシャーを感じるママも多いと思いますけど、できないものはできないし、混合栄養や完全ミルクでも子どもはちゃんと育つから大丈夫! それよりも楽しく育児をすることが大事だなと思います。

どんな下着が必要か、経験者だからこそわかる。


――1人目のお子さんを出産した翌年、乳がん経験者のための「下着屋Clove(クローブ)」を立ち上げたんですね。きっかけは何だったのでしょうか?

ボーマン:全摘手術を受けてから下着選びにかなり苦労したんです。手術をした後の胸ってとても繊細で、ゴムやワイヤーのちょっとした締めつけを不快に感じるし、失った胸に当てるパッドがフィットしなくて外出中も胸元が気になっちゃって。

乳がん経験者向けの下着は選択肢が限られ、「かわいい」「着心地がいい」って思えるものがなかなかない。「こんな下着が欲しいな」と考えるようになって、いろんな人に話しているうちに、協力してくれる仲間がどんどん増えていきました。起業ははじめてだし、知識もツテもなかったのですが、「これは私にしかできないこと!」と思って行動したら、かたちになっていきました。


――そうしてできたのが乳がん経験者のための肌着「Kimihug(キミハグ)」なんですね。特徴はどんなところにあるんですか?

ボーマン:主に、3つの特徴があります。1つめは、手術で失った胸のボリュームを補うパッドを入れるポケットがついていること。左右の胸の大きさが違っても、ボリュームを調整できます。

2つめは、汗対策です。強撚綿(きょうねんめん)というさらりとした生地を使い、汗をかいても心地よく過ごせるようにしました。さらに、わきの汗を吸い取るわきパッドを付けているのもポイントです。


――汗対策は乳がんと何か関係があるんですか?

ボーマン:乳がん治療の一つにホルモン療法があるんですけど、これには“ホットフラッシュ”と呼ばれる、大量の汗やほてり、のぼせといった副作用があるんです。更年期障害の一つとしても有名で、聞いたことがある方もいらっしゃるかも知れませんね。私自身はホルモン療法をしなかったのですが、ホットフラッシュによる不快症状に悩んでいる女性ってとても多いんです。

そして、3つめの特徴はゴムやワイヤーではなくストレッチレースを使用していること。繊細な胸を締めつけずに優しく支えます


――タグが肌に当たらないよう外側に縫いつけられていたり、縫い目がフラットだったり、細かな部分にもこだわっていて、すごく着心地がよさそうです。

ボーマン:デザインから縫製までは、老舗メーカーの島崎株式会社さんが一手に引き受けてくださいました。サンプル品の試着とモニターは、私も参加している「若年性乳がんサポートコミュニティPinkRing」の仲間に協力してもらって。みんな乳がん経験者ならではのリアルな意見を言ってくれるので、それを商品開発に存分に活かしています。


――愛用者の方からは、どんな声が届いていますか?

ボーマン:「さらっとしていて気持ちいい」「治療はもう終わったけど、ヨガやウォーキングにも使えて重宝してる」など、いろいろな声をいただいています。こうして私が起業して活動している姿に「勇気をもらった」と言ってくださる方もいて、うれしいですね。

「誇りを持ってやるべき」主人の言葉が支えに。


――下着づくりだけでなく、乳がん経験者オンリーのおしゃべり会、ブログでの乳がん経験談や情報提供、講演など、幅広く活動されているんですね。

ボーマン:実は、起業する前まで、がんのことは周りに話していなかったんです。特に言う必要もないかなって。でも起業するにあたって、自分の経験を隠して活動することはできないし、情報不足で不安や孤独を抱えがちな若い世代のがん経験者の力に少しでもなれたらと思って、主人に相談したんです。「がんのこと、世間に発表してもいいかなぁ?」って。

そしたら、こう返ってきました。「You should be proud of it」。がんと向き合ったことはすごい経験だから、誇りを持ってやるべきだって。


――背中を押してくれる、力強い言葉ですね。

ボーマン:がんを宣告されてから、気持ちがシュンとしてしまうことが多かったのですが、実はがんと向き合って治療しているって、ものすごく勇気のあることですよね。それに気づかせてくれる言葉でした。うちの主人はイギリス人なんですけど、欧米だと、がんになることは新しい価値観を手に入れることだとポジティブに考える人が多いんです。

主人も私の話をしっかりと聞いて、とことん一緒に考えてくれたし、どんな決断をしても応援してくれました。母親に話すと余計な心配をかけそうだったので、相談は基本的に主人にしていたんですが、いつも安定したメンタルで接してくれ、すごくありがたかったですね。


乳がんを乗り越え、妊娠・出産、起業を経験し、新たな人生を歩みはじめたボーマンさん。インタビュー後編では、乳房再建手術や、これからチャレンジしたいこと、自らの経験を通して伝えたいメッセージなどを伺います。

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PROFILE

ボーマン三枝ぼーまん・みえ

「下着屋Clove(クローブ)」代表。1981年岡山県生まれ。介護福祉、旅行業界で働いたのち、2013年にイギリス人男性と結婚。結婚3ヶ月で乳がんが見つかり、右胸の全摘手術を受ける。2015年に長女を出産し、2016年下着屋『Clove(クローブ)』を立ち上げる。2017年に次女を出産、2018年6月に乳房再建の手術を受ける。自身の乳がん経験を綴った『31歳 結婚3ヶ月で乳がんの私がマミーと呼ばれる日』をホームページにて公開中。趣味は旅行、ヨガ、料理。好きな言葉は「転んでもただでは起きぬ」。
https://shitagiyaclove.com/

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