HEALTHCARE : 健康
DATE : 2019.10.03
「大丈夫!」「また会いましょう」「人生は変えるな」…… チカラをくれた言葉たち
本記事は、「がんであってもなくても、自分らしく生きる」をコンセプトとした、マギーズ東京が発行する情報誌『Hug』からの転載記事となります。
がんと診断されたとき、治療しているとき、復帰に向けて頑張ろうと思えた、精神的な支えとなった言葉はあるだろうか。自らの信念、友人や家族の一言、本にあった名言、偶然目に入ったメッセージ…… 一人ひとりの大切な言葉を教えてもらった。
「 No rain , no rainbow 」
麻由さんが胸のしこりに気づいたのは不妊治療中のことだった。安心のために受けた会社の人間ドックで乳がんと診断。最初の病院で即手術を提案されたが、セカンドオピニオンを経て、術前化学療法を選択した。闘病中、気分転換のために家族と訪れたグアムのレストランのコースターに「No rain, no rainbow」の言葉。「そう、雨があるから虹があるんだ。私の人生、虹色にしよう」。直後に見た、美しいダブルレインボーが忘れられない。
鍵麻由さん(43歳・女性)
がん発覚時、5年後の自分宛に書いた手紙を40歳のときに読み、当時の自分と握手した気分になった。再発が分かり手術したときは、取得した資格のパーティーにドレスで参加することが目標に。
「 大丈夫!」
健康診断をきっかけに、年末の再検査を経て、年始に乳がんと診断されたhanaさん。悪い方に考えてしまい不安な日々を送るなかで看護師の友人とごはんへ。お店では打ち明けられず、帰り際に歩きながら病気を告白。友人は、ちゃんと診断結果に耳を傾けてから「運が向いてるから大丈夫!」と力強く言ってくれた。それ以来、手術や放射線治療のときなど心配なことがある度に、「大丈夫!あっという間だよ」などと声をかけてくれ、闘病中の心の支えになってくれた。
また「不安な気持ちになったときのために紙に書いて貼っておくといい」というアドバイスを参考に、色鉛筆で描いたカードを部屋に貼り、いつでも前向きな言葉が目に入るように工夫。友人たちに支えられたhanaさんは「ひとりでは分からなかった。相談することで助けられた」とふり返る。悩むだけじゃなく、誰かに相談することの大切さを学んだという。
hanaさん(40代・女性)
東京都在住の会社員。治療後のある夜、満月を見て号泣し「生きてて良かった」と実感。「“今”を大切に好きなことをしていこうと思いました」
「 人生観は変わっても人生は変えるな 」
「翌週から出社したい」。優夏さんは、退院日に主治医にそう告げた。39歳で乳がんと診断され、仕事や家族のある元の生活に早く戻りたいと強く思っていたからだ。セカンドオピニオンの病院で出会った女医は、「がんになって、人生観は変わっても人生は変えるな。今の時代、がんになっても、元気に生きられるということ、仕事もプライベートも諦めない生き方、それを同じがんにかかった次の人に示すことが、あなたの役目だ」と言ってくれた。言葉が人を支える、初めての経験。「先生がそう言うなら、私が示していかないといけない」と強く感じたという。
このメッセージのおかげで、優夏さんは退院後に抗がん剤治療を決めたときも周囲の視線が気になったときも「私らしく今を精一杯生きよう」と思えた。今、会社に復職して1年4カ月。フルタイムで以前と変わらない仕事を続けている。
志賀優夏さん(42歳・女性)
「がんを経験し、生きることに謙虚になれました」。同じ病気の人には“自分で選択して、それを全肯定して、前に進んでいく”大切さを伝えたい。
「 怖いよねえ そうだよねえ 」
32歳のときに甲状腺乳頭がんと診断された暁美さん。「怖い、不安」という気持ちを家族にも言えないでいた。誰に病名を告げても「予後がいい病気」「それなら大丈夫」と断言されるからだ。誰にも本心を伝えられないまま迎えた手術前日。長い検査の後、同い年という麻酔科の女医の「怖いよねえ。そうだよねえ」という言葉に思わず涙が止まらなくなった。初めて出会えた理解者は、暁美さんが落ち着くまで寄り添ってくれた。
釜井暁美さん(38歳・女性)
大阪在住。がん経験後「スマイルママ」起業。「どんなに予後がよくても、がんはがん。大丈夫だと決めつけず、不安な心に寄り添ってほしい」
「 いつもありがとう 」
「悪い予感がした」。初穂さんは、左胸のしこりに気づいたときをふり返る。子ども2人を育てながら通院での抗がん剤治療が始まった。母が家事をしてくれたがつらい副作用でぐったり寝込む日々。先が見えずネガティブになっていたとき、7歳の長女が手紙をくれた。「ママいつもいつもありがとう。大好きだよ」。予定していた“しゅじゅつ”(手術)の文字も。初穂さんは涙が止まらなかった。「家族のために必ず治さなきゃ」と強く感じた。
坂本初穂さん(38歳・女性)
がんになる前は、昼は育児しながら深夜アルバイトの日々。「病気は、“休め、立ち止まれ”のメッセージでした。“絶対治る”と前向きに考えること」
「 打ち明けてくれたことを友達として光栄に思う 」
最初はがんと明確に診断されなかったが、園子さんがずっと胸のしこりが気になっていた。心配で再訪した病院で乳がんと診断され、趣味を通じて出会った年上の友人に告白した。術後、最初の診断よりステージが進行していたことを伝えると「打ち明けてくれたことを光栄に思う」という返信。友人への信頼が伝わった安心感を覚えた。根拠もなく「大丈夫」と言われることに違和感を感じていたが、こちらに寄り添う大人の気遣いが染みた。
藤澤園子さん(45歳・女性)
東京都在住の会社員。山、ヨガ、映画好き。働きながら抗がん剤治療を経験。「あるがまま。前向きじゃなくて、普通でいい。日常は戻ってくる」
「 私が生存率をUPするのだ 」
27歳のときに、希少な子宮肉腫ステージIV、その後卵巣がんと診断された結さん。治療法が確立されておらず完治しないという診断を受けた。専門医を探し、複数の病医院に通った後、厳しい現実と向き合う覚悟をした。海外からも専門書を取り寄せて勉強し「これを乗り越えて私が生存率をUPするのだ」という強い信念があったと明かしてくれた。
それでも治療を終え社会復帰するまでの回復期は、精神的にもつらかったとふり返る。そんなときに支えてくれたのが、病気が発覚する前から見守ってくれた友人だった。「がんって、体の病気より心の持ち方だと思うのね。見えないリスクにおびえてる時間が一番怖いよね。十分すぎるくらい知って、頑張ってるし対応しているし、治療している時以外は、考えなくてもいいんじゃないかな?」と言ってくれたおかげで、気持ちを整理するきっかけになったという。厳しい病状と、自ら考え治療を選択した経験は、その後の人生を大きく変えた。結さんは今40代、会社員として充実した日々を送る。
結さん(40代・女性)
闘病当時、励ましてくれた友人がもうすぐ海外赴任する。「心から『ぜひ、元気に、心配不要で行ってらっしゃい!』と送り出してあげたい」
「 おれは見舞いに来てるんじゃない、お前と遊びに来てるんだ 」
和久さんが精巣がんと診断されたのは大学生のとき。母はすぐ医師に、本人への告知を希望した。幼少の頃、持病で病院に通っていた息子の「がんは絶対に告知してね。精一杯闘うから」という言葉を覚えていたのだ。和久さんは、すぐにネットで最新医療を調べ転院を決めた。
入院中、小学校からの親友が毎週のように来てくれた。「気を遣わなくていいよ」と言ったら「おれは見舞いに来てるんじゃない。お前と遊びに来てるんだ!」。うれしくて涙が止まらなかった。
軍司和久さん(35歳・男性)
東京都在住の会社員。ブログで闘病記を発表したことで読んだ人が面会に来てくれたことも。いつしかHPが“みんなから元気をもらえる場所”に。
「 また会いましょう 」
昌史さんが胃がんと診断されたのは、2015年秋、マギーズセンターの写真展が始まる2日前のこと。足を運んだ会場で呼吸法のセミナーを受けた後、共同代表の秋山正子さんに話しかけられた。別れ際に「また会いましょう」の言葉。帰り道に「そうか会えない人もいるんだ。元気になって会わなくちゃ」と気づいた。手術を経て、春のマギーズ東京・壁塗りイベントで秋山さんと再会。昌史さんは、「大きな約束を果たした」と語った。
西村昌史さん(53歳・男性)
東京都在住。自宅療養中。「今は、同じがんを経験した父に会いたい。先輩に聞きたいことがある。介護職として今まで以上に利用者に寄り添いたい」
「 一番必要なのは“冷静さと知性、理性”です 」
29歳で乳がんと診断され「それまでと同じ考え方では生きづらくなってしまった」とふり返る雅子さん。病気の原因が分からず辛かったが、美輪明宏さんの著書『乙女の教室』(集英社)が支えになった。「追い詰められたとき、一番邪魔なもの、必要のないもの、排除すべきは“感情”だ、ということです」「一番必要なのは“冷静さと知性、理性”です」の言葉で、冷静に、何ができるか考えようと思えた。5年経った今もマーカーを引いたこの本を読み返す。
近藤雅子さん(35歳・女性)
北海道在住。健康なときは考えられなかったけれど、今はいろんな境遇の人の気持ちが想像できるように。がんは「運命の神様がたまたま投げた石」
「 父さん心配してたわよ 」
医者の父は仕事一筋、家のことはおざなりで遊んでもらった記憶がないと話す敏彦さん。5年前、胆のうがんと診断されたときも、親というより医療者として相談に乗ってくれていると感じていた。
手術の日、そんな父が感情を露わにした。予定より4~5時間延びた手術の間、病棟で待っていた父は、スタッフに「どうなってるんだ~!」と怒鳴り込んで説明を求めたのだ。術後、母が「父さん心配してたわよ」と教えてくれた。意外だった。でもうれしかった。父が感情を表に出したのは一度きりだが、父子の繋がりを感じたことで、心折れることなく闘病生活を乗り越えられたという。
表現することが苦手だった敏彦さんは、がんを経験し「思っていることを言葉にしないと何も変わらない。一歩を踏み出したら手を差し伸べてくれる人がいる」と学んだ。現在はソーシャルワーカーとしてがん患者を支援する。相手の気持ちを察して周りに伝える代弁者だ。
野村敏彦さん(40歳・男性)
神奈川県在住。ソーシャルワーカー。がんは「日常の彩りを豊かにしたカンフル剤」。人生の有限を実感し、何気ない日常に感謝できるように。
「 いるだけでチームの雰囲気が変わるから毎日来て 」
仕事、育児、家事の他、キャリアアップのための勉強に邁進していたhappyさん。スキルス性胃がんの診断は「青天の霹靂」だった。ただ当時は手術すれば職場に戻れると思っていた。本当にショックだったのは、医師に術後「転移により摘出できなかった」と告げられたとき。生きるか死ぬかを前に、復帰を考える余裕もなく目の前の治療と向き合った。
家と病院を往復する日々に、社会から取り残されたと感じたhappyさんは自信を失いかけたが、友人の勧めもあり会社のサポートで受けた通信教育の講座が自分を肯定する転機に。「会社に行きたい。お礼を伝えたい」と8カ月ぶりに出社。上司も喜んでくれ同僚も「元気そうで良かった」と歓迎してくれた。
出社日の夜、お礼メールを送った上司から「いるだけでチームの雰囲気が変わるから毎日来て」の言葉。明るく包容力のある上司の存在は大きな支えとなった。
happyさん(30代・女性)
娘と夫と3人暮らし。育休復帰して1年4カ月後にがん告知。月2回ほどの一時出社の支えは病気発覚前から使っていた香水。治療の友は、院内のスタバと谷川俊太郎の『すき好きノート』(アリス館)
「 人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている 」
市の健康診断をきっかけに乳がんと診断され「頭が真っ白になった」という香織さん。ふとテーブルの上に置いたままの日経新聞プラスワンを手に取った。
2013年1月12日発行の土曜版の特集「覚えておきたい『現代の名言』」。「落ち込んだとき元気になるには」部門1位に選ばれた作家・伊集院静さんの言葉が目に入る。「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」。
病気、仕事、経済状況……人はそれぞれ何か悩みを抱えている。香織さんは「この言葉で救われた」と語った。
中島香織さん(51歳・女性)
埼玉県在住。乳がん体験者コーディネーター。「がんは1人で抱え込まないで欲しい。告知後の診察時には同席した友人が医師に質問してくれました」
Text:Kaori Sasagawa Illustration:Saori Oguri Retouch:PROST Composition:Naomi Oguriyama
PROFILE
小栗左多里
PROFILE
マギーズ東京『Hug』
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